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CASE RECORDS of the MASSACHUSETTS GENERAL HOSPITALに学ぶ会 Case 22-2023
A 59-Year-Old Woman with Hypotension and Electrocardiographic Changes 25.07.2023
59歳の女性がToronto General Hospital(T.G.H.)の手術室で麻酔導入の際に低血圧と心電図異常をきたしました。患者は18週前にacromegalyをうかがわせる容貌をかかりつけ医に指摘されてIGF-Ⅰ値が595ng/ml(50-317)、GH値が9.1ng/ml(0.0-7.1)でした。紹介されたT.G.H.の内分泌科ではMRI検査所見で下垂体に9x7x10mmの腺瘍を認めてacromegalyと診断されました。紹介された同院脳外科で顕微鏡的経蝶骨洞下垂体切除が予定されました。既往歴には高血圧、耐糖能異常、肥満、睡眠時無呼吸症候群、多発卵巣嚢腫、慢性関節リウマチ、骨関節炎、側弯症があります。膝痛のために運動障害を認めますが胸痛・呼吸困難歴はありません。内服としてはhydrochlorothiazide, olmesartan, ibuprofen, acetaminophenです。hydroxychloroquineで白血球球減少、meperidineで消化器症状が出現した既往があります。New Englandの郊外に夫と暮らし、オフィスで就業しています。喫煙歴なく、飲酒は稀です。違法薬の使用歴はありません。両親の家系に心血管疾患の家族歴があります。術前検査で心電図に特記すべき異常なし、経食道心エコー検査では異常なし、左室駆出率は55%、右室拡張気圧は28mmHgでした。軽度のMRとTRがありました。薬物負荷検査で心筋虚血は明らかでありませんでした。術前3週前の身体所見でバイタルに異常なし、BMIは35.7でした。手術の麻酔導入でmidazolam, fentanyl, propofol, lidocaine, rocuroniumが使用されて、気管挿管は咽頭軟部組織の形態により手こずり、SpO2が79%まで低下しましたが1分以内に正常化しました。inhaled sevoflurane, dexamethasone, PIPC-tazobactamが使用されました。remifentanil, phenylephrineが静注されて背臥位でした。麻酔導入して手術実施前に徐々に血圧が低下して16分後には96/48、(HR75)、29分後には67/36(HR71)となりました。心電図もモニターでST上昇が下壁誘導で、ST低下と陰性T波が前壁・側壁誘導で認められました。aspirinが直腸内投与されて、 phenylephrine点滴が増量、phenylephrineとephedrineのbolus投与が繰り返されました。結果血圧は110/54(HR111)まで回復しました。心電図モニター上でみられたST-T変化は消失しました。実施されたTEEとECGは術前検査のTTE、ECGと著変ありませんでした。手術は中止されました。集中治療室でtroponin T値は経時的に正常、CT coronary- angiographyではLAD抹消側での狭窄を認めるのみでした。心電図変化はcoronary vasospasmが原因とされてamlodipineとisosorbide mononitrate, atorvastatin投与が開始されました。3週間後に再手術となり手術室で血圧は118/67(HR88)です。midazolam, fentanyl投与が開始されてtopical lidocaineが使用された後に内視鏡的に気管内挿管がされました。propofol, rocuronium, sevofluraneで麻酔導入が始まりました。phenylephrine点滴が開始されてPIPC-tazobactamが投与されました。血圧が直ちに54/29まで低下して前回と同様の心電図変化が出現しました。
DIFFERENTIAL DIAGNOSIS T.G.H.麻酔科のWilton A. van Klei 先生の解説です。まず、第一回目の手術の麻酔導入時に起こった術中の血圧低下について考えてみたいと思います。
INTRAOPERATIVE HYPOTENSION 麻酔導入時に起こる術中の血圧低下についてはよくある現象です。異常な血圧低下を数字で定義することは明らかになっていませんが、一般的に臓器障害が懸念される65mmHgを下回る場合を術中低血圧症と呼称するようです。
本例にける術中低血圧症の原因を明らかにするためには、術中での発症したタイミング(麻酔導入から手術開始まで、手術中、術直後の其々について)。患者側のリスク要因、そして手述手技のリスク要因について考察したいと思います、
Timing of Intraoperative Hypotension Relative to Surgery 本例の低血圧症は麻酔導入から手術開始前に発症しており、通常は麻酔薬による交神経系遮断作用によりますが、手術中では出血、手技による静脈還流量低下などが考えられます。
Patient-Related Risk Factors for Intraoperative Hypotension 患者側のリスク要因としては加齢による生理的変化、背景にある病態生理学的要因、使用されている薬剤などが考慮されます。59歳という年齢は高齢とするには如何かと考えられます。本例は術中低血圧症の原因となる背景、即ち心不全、心房細動、末梢血管の障害、糖尿病、甲状腺機能低下症、副腎不全といった合併症を有しません。内服薬の影響は如何でしょうか。hydrochlorothiazide, olmesartanは低血圧の要因にはなり得ますが、本例にみられた程の低血圧にはつながらないと思われます。本例にみられた術中低血圧症は徐々に進行してephedrineとphenylephrine投与により回復しており、rocuroniumやPIPC-tazobactamに対するアナフィラキシーは考えにくいと思われます。
Procedural Risk Factors for Intraoperative Hypotension 手術手技による術中低血圧症の原因としては手術の形式、時間など、患者の体位、出血、投与されている麻酔薬などが考えられます。本例では手術が開始される前のイベントでした。全身麻酔に関連した薬が複数使用されており、血圧低下の原因には考慮されますが、本例に見られる程の低血圧は不自然です。ECG異常として認めたST上昇について考察したいと思います。
ST-SEGMENT ELEVATION ECGでST上昇を示す病態の多くは冠動脈閉塞です。他の病態としてはタコつぼ筋症、冠動脈攣縮なども考えられます。タコつぼ心筋症についてはTEEで形態的変化を認めず、明らかな誘因もありません。下壁梗塞が疑われましたが責任病変はありませんでした。結局冠動脈攣縮が考慮されました。
SECOND ATTEMPTED PROCEDURE 再手術目的で起こった術中低血圧は麻酔導入時に生じて、37mmHgまでの突然の血圧低下でアナフィラキシーが疑われました。
ANAFILAXIS 手術室で発症するアナフィラキシーは10000~20000件あたり1件の発生頻度とされています。そして原因薬はrocuroniumなどの神経筋遮断薬が50~70%を占めて最多とされます。2番目は抗菌薬です。本例は両者の投薬直後に発症しているので、何れかが原因のアナフィラキシーが予想されます。アナフィラキシーの際にmast cell活性化による冠動脈攣縮が報告されてKounis syndromeと呼称されます。
CLINICAL IMPRESSION 2回目のイベントで我々の鑑別診断は副腎不全、心原性ショック、アナフィラキシーとなり、中でも気管支攣縮や皮膚症状はありませんでしたがアナフィラキシーを最も強く疑いました。副腎不全に対してdexamethasoneを投与しましたが効なく、予想されたアナフィラキシーに対して必要量のepinephrineを投与しました。血圧が回復したところでacute coronary syndromeに対してnitroglycerin投与を開始しました。10分後に心電図変化は正常化しましたが、TEEでは壁運動、EFに異常を認めませんでした。すぐには思いつきませんでしたがKounis syndromeを考えて手術を中止、アレルギー科に相談することになりました。
DIAGNOSTIC TESTING アナフィラキシーは以下の3つのcriteriaが合致する場合には強く考えられる診断となります。即ち、①皮膚・粘膜症状伴う呼吸器、或いは心血管系症状が突然発症する場合、②原因と思われるアレルゲンに暴露して以下の2つ以上の病態をきたす場合(皮膚、呼吸器、心血管、消化器)、③知られたアレルゲンに対して暴露後に血圧が低下する場合です。周術期にみられるアナフィラキシーは本例に見られたように心血管系症状のみ出現することがcommonです。アナフィラキシーの診断が血中のtryptaseの経時的な値によって確認されるという報告があります。アナフィラキシーでは血中tryptase値は90分以内に直ちに上昇して、その半減期は2時間とされています。故に発症4時間以内の測定が望まれます。本例では約15分後に測定されて値は7.4ng/ml(<11.5)でした。ピーク値は110分後の7.8ng/mlで、27時間後の値は3.4ng/mlでした。経時的にみて、ピーク値が2+1.2base line level値を超える時に有意とされており、本例ではcut off値が6.1ng/mlと計算され、アナフィラキシーの診断に有意であると考えられました。アレルギー科において、手術室で使用された全ての薬剤に対してskin-prickテストと皮内テストが実施されました。結果、skin-prickテストは全て陰性、皮内テストでは唯一PIPC-tazobactamが陽性でした。追加したpenicillin derivativesも全て陰性でした。
DISCUSSION OF MANAGEMENT Kounis syndromeの確かな病態生理は明らかにされていません。予想されているのはmast cell活性化で、放出されたメディエーター:histamine, protease, platelet-activating factor が冠動脈攣縮、プラーク破裂、ステント内血栓形成を来します。これらがKounis syndromeの亜分類Type Ⅰ,Ⅱ,Ⅲとなります。ほとんどのKounis syndrome症例は皮膚症状、気管支攣縮、皮膚症状を呈します。175例の集計でみると87%が胸痛、95%は心電図異常を認めたとされます。Kounis syndromeの治療は”challenging”であり、アナフィラキシーとACSを同時に治療することになります。本例においては、まず生命危機にあるアナフィラキシーにepinephrineで対応して、事前に明らかにされていた非閉塞性ACSに対して引き続き治療することになりました。周術期に起こるアナフィラキシーにもIgE関連とIgE非関連の病態があり、皮膚検査が有用となるのはIgE関連病態のみであって、これらの中で原因薬剤が明らかとなるのは70%とされています。先述のごとく最も多い原因薬剤は神経筋遮断薬と抗生物質です。本例ではまずacromegalyに対してsomatostatin analogueが投与されて、初回イベントから6か月後に感染予防の抗菌薬がclindamycinに変更されて手術が実施されました。術中に特に問題なく下垂体腺腫は切除されました。術中に発症したACS症例において、稀ながらアレルギーが関与する場合に血清tryptase値が有用であるとする報告もあります。
Case Records of the M.G.H.の要約はできるだけ簡潔に片付けたいといつも思っておりますが、今回は術中に起こったアナフィラキシーとKounis syndromeという理解するのも”challenging”なケースで、結局長文となってしまいました。Kounis syndromeは2年程前に当院でも経験されて、内科のメンバーの間では話題になった病態です。調べてみますと1991年にKounis によってはじめて報告されて既に30年になります。厚労省からも「アレルギー反応に伴う急性冠症候群(コーニス症候群)について」と薬剤使用における注意喚起が既に発信されているようです。今回も大変勉強になりました。
< 伊東ベテランズ 川合からの報告です >